文教大学大学院 人間科学研究科 30周年記念サイト

おわりに

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おわりに

臨床心理学専攻長 岡田 斉


私が人間科学部に赴任したのが1999年、大学院の科目担当となったのが2000年からです。大学院に関わった24年間を振り返り、本史で触れられなかった印象的なエピソードを紹介しておわりの言葉に代えさせていただきたく思います。

博士後期課程の設置に関して研究科長として尽力された岡堂哲雄先生からこんな話を聞いたことがありました。

文教大学の人間科学部は大阪大学に次いで、臨床心理学科は京都文教大学に次いでいずれも二番目だった。そこで大学院博士後期課程では日本初の臨床心理学専攻となることを目指し一番を実現した。さらに先生がアメリカに留学された体験から、アメリカのClinical Psychologist の資格はできた当初は修士の資格であったが後に博士が必要とされる資格となった。日本もいずれそうなるだろうからそれを見越して一番を取っておいた。私の置き土産だ、と。設置から20年近くになるものの未だに実現はされていませんが、その先進的な志は文教大学人間科学研究科に脈々と受け継がれているように感じております。

次に大学院限定というわけではないのですが、大学院が関わった最大の行事は1999年に臨床心理学科?臨床心理学専攻が中心となって主催した心理臨床学会であったと思います。準備委員長は水島恵一先生、委員長代理は岡堂哲雄先生、事務局長は上杉喬先生、事務局員に伊藤研一先生、土沼雅子先生が名を連ねていました。ワークショップを含めると期間は4日、越谷校舎のありとあらゆる教室を総動員し多い日には入学試験の最大数に匹敵する1日3000人弱が来訪されたと記憶しております。大学院生が会場運営の中核となって働いてくれていた様子が印象的でした。大変でしたが結束感の高まりを強く感じました。

最後に学会の設立があります。大学院が設置される以前の1982年に人間科学部の先生方が中心となって日本人間性心理学会が設立され2006年まで本学に事務局がありました。2000年3月にはこの時の経験を生かして、上杉喬先生が中心となり日本イメージ心理学会が設立され2020年まで本学内に事務局が置かれました。発起人会の顧問には水島恵一先生、成瀬悟策先生を迎え、30人の発起人の中には知覚心理では日本の第一人者であった大山正先生、後に心理臨床学会現理事長となる藤原勝紀先生、その前に理事長となられた鶴光代先生らが名を連ねる基礎と臨床のバランスが取れ、小規模を生かした家族的な学会として立ち上げられたのでした。これらの学会には教員、大学院生も多く入会し、人間性心理学、イメージ心理学の研究は岡堂先生の家族心理学と並んで人間科学部?研究科の特色と言ってよい領域となっていたように思います。

私が赴任した当時の臨床心理学専攻は受験生が200人を超えるまさに「バブル期」でした。その後大学院の設置が進んだ結果倍率は下がりましたが身の丈に合ったのが設立30年後、2024年の姿と感じます。次の30年はどうなるのか、さらに熟成された人材養成機関となっていることを期待して筆を置きます。研究科のますますのご発展を祈念しております。




ウエルネスライフを目指して! -すべての人の生きる歓びのために-

宮田 浩二(人間科学専攻)


30周年記念と聞いて、一番驚いたのは年月の流れの速さでした。私が文教大学に赴任したのは、2002年でした。その翌年には、何もわからないうちに大学院の授業担当を担当したと思います。人間科学研究科の教員としては、2024年度で20年間となります。その当時は、生涯学習学専攻から人間科学専攻への改組の時でした。当時生涯学習学専攻長だった野島先生は、所属の先生方に相談され、専攻の模様替えがあり、人間科学部人間科学科との接続を重視したカリキュラムに変更して,学部から大学院まで一貫した指導体制をとることとなりました。その当時、角田巌先生から「これからは、スポーツ関連の授業を取り入れることが大切だ!」と言われ、生涯スポーツとウエルネスライフ学修との意義?効果の観点から「スポーツ?ウエルネス特論」の授業科目を立ち上げました。「健康を第一に考えるのではなく、健康=健幸を生かした人生の過ごし方」の大切さを実感しました。その頃、日本ウエルネス学会を設立にもかかわり、2004年に第1回目の学会大会を開催しました。

翌年の2005年4月の改組により,新生?人間科学専攻がスタートしました。入学した院生は、学部生、キャリアアップのために大学院に進学した社会人でした。諸先生方のご努力により社会の認知度も高まり、和やかに、大変有意義なウエルネスライフを過ごしていたと思います。しかし、次第に入学生が、減少し、その当時の専攻長であった石原俊一先生と議論を重ね、学内推薦入学選考を導入し今に至っています。

当時を知る理事長 野島正也先生、佐藤啓子先生にインタビューをすることができ、大変懐かしいお話を聞くことができ、当時のことが思い出され嬉しい限りでした。当時は、私も若く、諸先輩の先生方にずいぶん生意気なことを言っていたことなどが思い出され、先人の先生方のご苦労も垣間見ることができした。 どうにか、「30年の人間科学研究科の歩み」を残すことができたものと、携わった一人としてほっとしています。

今後、同様に40,50年後の本研究科の発展を祈念するとともに、私も更に研鑽を重ねて参ります。




編集後記

村上 純一(人間科学専攻)


「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と、近代世界史を学んでいれば誰もがその名を耳にするであろう、19世紀ドイツの“鉄血宰相”ビスマルクは言ったといわれています。  今回、幸運にも大学院人間科学研究科の歴史を学ぶ機会を頂戴することができました。私が大学院の授業担当を仰せつかったのは2018年度からですので、人間科学研究科の教員としてはまだ2024年度が7年目になるわけですが、今回の30周年記念誌作成を通じて、研究科の草創期から研究科運営の中枢を担ってこられた先生方や修了生の方々の数多のエピソードを知り、たくさんの「歴史」を学ぶことができました。特に、先生方のインタビューでは直接お話を伺える機会を何度もいただくことができ、本当に貴重な学びを山ほど得ることができたと実感しております。

人はなぜ、歴史を学ぶのか。それは、過去の歴史が「今」の基であり、未来を築いていくための「礎」であるからに他ならないからでしょう。この30周年記念誌が、現在人間科学研究科に教員や学生、職員として関わられている方はもちろん、これから人間科学研究科と縁をもつことになる全ての方が研究科の歴史を学ぶ上でも欠かせないものになっていれば、委員の末席に加えていただいた者としては望外の歓びです。そして、今回学んだ重厚な「歴史」を研究科の未来に繋げていけるよう、これからもいち教員として精進していきたいと思っておる次第です。




30周年記念実行委員会

岡田 斉?鍛冶 美幸?鎌田 晶子?関井 友子?布柴 靖枝?宮田 浩二?村上 純一(五十音順)